精神科で「病気」とはどう決まる?

「これは病気ではありません」
「精神科で診るような状態ではありません」

精神科を受診して、このように言われた経験のある方もいるかもしれません。
一方、インターネットやSNSでは、

「こういう人は発達障害です」
「これは適応障害です」
「これはうつ病ではありません」

といった、非常に明快で断定的な説明を目にすることがあります。
こうした説明はわかりやすく、多くの人に届きやすいものです。
しかし、実際の精神医学では、正常と異常の境界はそれほど明確ではありません。

統合失調症、双極性障害、うつ病、適応障害、発達障害など、現在の精神科ではさまざまな病気や状態を診療します。そのなかには、古くから精神医学の中心的な対象とされてきた病気もあれば、社会の変化や精神医学の発展とともに、診断や治療、支援の対象として広く認識されるようになったものもあります。

「正常と異常の境界をどこに置くのか」

これは、現在の精神医学を考えるうえで非常に重要な問題です。

精神医学は「異常心理」を対象として発展してきた

精神医学と心理学の違いを考えると、この問題がわかりやすくなります。

歴史的に、精神医学は精神疾患、いわゆる「異常心理」を主な対象として発展してきました。
一方、心理学は、記憶、感情、学習、性格、行動など、人間の「正常心理」を理解する学問として発展してきました。

非常に大まかに整理すれば、
「精神医学は治療を中心に、心理学は理解を中心に発展してきた」
と考えることができます。

もちろん、現在ではこの境界はかなり曖昧になっています。

心理学も臨床心理学などを通じて、うつ病、不安障害、発達障害などの精神疾患や心理的な問題を扱います。反対に精神医学も、従来の重い精神疾患だけではなく、ストレスに伴う不調や対人関係、仕事、学校生活などに関連する、より幅広い困りごとを扱うようになっています。

精神医学と心理学は、それぞれ対象を広げ、その領域は大きく重なるようになってきました。

統合失調症や双極性障害は、古くから精神医学の中心的な対象だった

精神医学の歴史を振り返ると、現在「精神科で診るもの」と考えられているすべての状態が、最初から同じように扱われてきたわけではありません。

たとえば、統合失調症や双極性障害など、現実検討の障害や著しい気分・行動の変化を伴う病気は、古くから精神医学の中心的な対象となってきました。

かつて「精神病」と呼ばれてきた領域です。
重症のうつ病も、精神医学における重要な治療対象です。

このような病気では、本人自身が必ずしも「困っている」「自分は病気だ」と認識しているとは限りません。特に躁状態や精神病症状などでは、本人の病識が乏しくても、生活や社会機能に大きな影響が生じ、医学的な治療が必要になることがあります。

したがって、「本人が困っているかどうか」だけで精神疾患かどうかが決まるわけではありません。

一方で、精神医学の対象は広がってきた

「現代の精神科が扱う領域は、かつての「精神病」よりもはるかに広くなっています。

たとえば、適応障害があります。

職場の人間関係、仕事の負担、転職、家庭環境など、明確なストレスをきっかけとして、抑うつ、不安、不眠などが生じ、仕事や日常生活に支障をきたすことがあります。
ストレスを受けて落ち込んだり、不安になったりすること自体は、人間として自然な反応でもあります。
では、どこまでが正常なストレス反応で、どこからが適応障害なのでしょうか。その境界を単純に線引きすることは容易ではありません。

発達障害についても似た問題があります。

ADHD(注意欠如・多動症)でみられる不注意、忘れ物、落ち着きのなさは、程度の差こそあれ、多くの人にみられます。
ASD(自閉スペクトラム症)に関連する対人コミュニケーションの特徴や強いこだわりについても、一般の人にまったく存在しない特徴ではありません。
こうした特性があることと、発達障害と診断されることは同じではありません。

それによって本人がどの程度困っているのか、学校、仕事、家庭、対人関係などにどの程度の支障が生じているのかという視点が重要になります。

正常と異常は「まったく別のもの」とは限らない

不安は誰にでもあります。
気分が落ち込むこともあります。
人前で緊張することもあります。
忘れ物をすることも、集中できないこともあります。
特定のことに強くこだわる人もいます。

それだけで、うつ病、不安障害、ADHD、ASDなどの精神疾患になるわけではありません。
しかし、その程度が強くなれば、

  • 不安が強く、電車に乗れない
  • 気分の落ち込みが続き、仕事に行けない
  • 不注意や忘れ物が多く、仕事を続けることが難しい
  • 対人関係の問題を繰り返している
  • 強いこだわりによって学校や仕事、家庭生活に支障が生じている

といった状態になることがあります。

精神症状や心理的特徴の多くは、「正常な人にはまったく存在せず、病気の人だけに存在する」というものではありません。 正常と異常を明確に二分できず、程度の差として連続的に存在するものも少なくありません。

いわば、正常と異常は紙一重です。

現在の精神科では「困っているか」「生活に支障があるか」が重要

そのため現在の精神科診療では、症状や特徴が「あるか、ないか」だけではなく、

「本人がどの程度困っているのか」
「日常生活や社会生活にどの程度の支障が生じているのか」

という視点が非常に重要になります。

たとえば、忘れ物が多くても、自分なりの工夫によって仕事や生活に特に困っていなければ、必ずしもADHDとして医学的な介入が必要とは限りません。
反対に、診断基準にきれいに当てはまらなくても、本人が強い苦痛を感じ、仕事、学校、家庭生活などに大きな支障が生じているのであれば、何らかの治療や支援が役立つ場合があります。

ただし、「困っている=精神疾患」というわけでもありません。

死別、失恋、仕事上のストレス、人間関係の問題などによって強い苦痛を感じていても、それが人間として自然な心理反応の範囲であることもあります。
一方、統合失調症の精神病症状や双極性障害の躁状態などでは、本人自身の困り感が乏しくても、医学的な治療が必要になる場合があります。
したがって、「困っているか」「生活に支障があるか」は非常に重要ですが、それだけで診断が決まるわけではありません。

精神科医は、その人の症状、経過、生活への影響、周囲の状況などを総合的に考えて判断します。

「これは病気ではない」という精神科医がいるのも不思議ではない

正常と異常の境界が明確ではない以上、同じような状態を診ても、精神科医によって判断が異なることがあります。

ある精神科医は「適応障害として治療や休養が必要」と考えるかもしれません。
別の精神科医は「病気というより、強いストレスに対する正常な心理反応として理解した方がよい」と考えるかもしれません。

発達障害についても、「ADHDやASDとして診断できる」という判断と、「発達特性はあるが、障害と診断するほどではない」という判断が分かれることがあります。

「これは病気ではない」と判断する精神科医がいること自体は、不思議なことではありません。
むしろ、正常な心理や個性を何でも病気として扱わないことも、精神科医に求められる重要な姿勢です。

問題は、その先です。

「病気ではない」と「何もする必要がない」は違う

精神科医が「現在のところ、うつ病や適応障害などの精神疾患とは考えにくい」と判断することはあります。
しかし、「病気ではない」ということと、「本人が困っていない」ということは同じではありません。
まして、「病気ではない=精神科で話を聞く必要もない」とは限りません。

なぜ困っているのか。
どのような場面で生活に支障が生じているのか。
医学的な治療によって改善できる部分があるのか。
心理的な支援が適しているのか。
職場や学校、家庭などの環境を調整した方がよいのか。
あるいは、精神科以外の医療や支援につなぐべきなのか。

そこまで考えることも精神科診療です。

精神科医の仕事は、診察室の入口で患者さんを「病気」「病気ではない」の二つに振り分けることだけではありません。
正常と異常が紙一重だからこそ、その境界にいる人を診ることも精神科医の仕事だと、私たちは考えています。

診断名は、その人そのものではない

精神科診療では、診断はもちろん重要です。

うつ病なのか、双極性障害なのか。
適応障害なのか。
ADHDやASDなどの発達障害があるのか。
統合失調症などの精神病性障害を考える必要があるのか。

診断によって、治療方法や注意すべきことが大きく変わる場合があります。
しかし、診断名はその人自身を説明するための「ラベル」ではありません。
同じ診断名でも、症状、性格、生活環境、仕事、家族関係、本人が困っていることは一人ひとり異なります。

精神科医が考えるべきなのは、
「この人は何病か」だけではなく、
「この人はいま何に困っていて、何をすれば生活が改善するのか」
ということです。

SNSでは「白黒をはっきり言う精神科医」が目立ちやすい

インターネットやSNSでは、短く、わかりやすく、断定的な説明ほど広がりやすい傾向があります。

「○○する人はADHD」
「こういう人はASD」
「仕事が原因なら適応障害」
「これはうつ病ではない」

こうした説明は理解しやすいものです。
しかし、実際の精神科診療はそれほど単純ではありません。

同じ「仕事に行けない」という状態でも、うつ病の場合もあれば、適応障害の場合もあります。
双極性障害のうつ状態という可能性もあります。
不安障害、発達障害、睡眠の問題、身体疾患、職場環境などが関係していることもあります。
場合によっては、精神疾患ではないこともあります。

実際の診察では、その一つひとつを考えていかなければなりません。

だから精神科医の説明には、

「場合によります」
「一概には言えません」
「もう少し経過を見る必要があります」

という言葉がどうしても増えます。
これは曖昧に答えているからとは限りません。 人間の精神そのものが、それほど単純ではないからです。

SNSでは白黒をはっきり言う精神科医の方が目立つかもしれません。
しかし、診察室では、わかりやすい答えを出すことより、その患者さんにとって適切な答えを探すことの方が重要です。

診断を慎重にすることと、患者さんを診ないことは違う

正常な心理反応や個性を何でも、うつ病、適応障害、ADHD、ASDなどの精神疾患として扱うべきではありません。

精神科医が診断を慎重にすることは重要です。
しかし、診断を慎重にすることと、診断基準にきれいに当てはまらない患者さんを診ないことは別の話です。

「精神疾患ではないかもしれない」

そう考えながら話を聞くこともできます。
診断を保留しながら経過を見ることもできます。
必要に応じて心理的支援や環境調整を提案することもできます。
精神科以外の医療や支援が適切であれば、そこにつなぐこともできます。

精神医学において、慎重であることと、何もしないことは同じではありません。

精神科を受診する前から「病気」である必要はない

「自分はうつ病なのだろうか」
「適応障害なのだろうか」
「もしかするとADHDやASDなのではないか」

そう考えて精神科や心療内科を受診する方は少なくありません。
しかし、受診する前から患者さん自身が病気かどうかを判断する必要はありません。

精神疾患なのか。
正常な心理反応の範囲なのか。
本人の特性が関係しているのか。
環境の影響が大きいのか。
治療が必要なのか。

それを一緒に考えることも精神科診療の役割です。
診察した結果、「現時点では精神疾患として治療する必要はありません」という結論になることもあります。 それも一つの診療結果です。

大切なのは、病名をつけること自体ではありません。

本人が何に困っているのか。
生活のどこに支障が生じているのか。
そして、その人が少しでも生活しやすくなるために何ができるのか。

統合失調症や双極性障害など、古くから精神医学が治療対象としてきた病気があります。
一方、適応障害や発達障害などを含め、現代の精神医学が扱う領域は大きく広がっています。
そして、精神医学と心理学の境界も、正常と異常の境界も、単純に一本の線を引けるものではありません。

だからこそ、「これは病気」「これは病気ではない」と簡単に決めつけるのではなく、その境界にいる人をどう理解し、必要な治療や支援につなげるか。

そこに、現代の精神科医療の大切な役割があると考えています。

院長・小林伸行

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